日本経済新聞「医師の目」第1回
日本医科大学助教授(医療管理学) 高柳 和江
患者の気持ち最優先

二年前、NHKの番組『ラジオ深夜便』に出演した。このとき、おむつの話をしたとき。おむつの話をした。高齢でも失禁があっても、おむつはしたくない。これは人間の尊厳の問題だ、と。そこで一言、「米国ではおむつをはずせる手術があります。便のほうだけですが」と付け加えた。
すると、驚いた。放送当日の朝八時から、勤務先の大学に電話が殺到したのだ。「その手術、日本医科大学でできますか」「国保(国民健康保険)でできますか」「八十歳でもできますか?」……。答えは全部、ノー。日本では行われていない手術だからだ。
「盲腸ポート」といって、盲腸に管を埋め込み、管の先を腹の外に出し、ふたをしておく。ここから浣腸(かんちょう)液を自分で注入すれば、約一五分で大腸内の便が肛門から出て、少なくとも二日間は便失禁の心配がない。
保険はきかないが、青梅市立総合病院の星院長が万全のバックアップをしてくれた。この手術を改良した米国の医師を呼び、第一例目を行ったのは、その年の十二月。患者さんは術後に言った。「失禁があると、一日中便のことばかり考える。今では、一日二十三時間は自分の好きに使える」。
2階から落ちて以来、十年寝たきりだったOさんは、三日ごとに便が出ると食欲がわいてきた。これで元気になり、リハビリをがんばって車椅子で外出できるようになった。十年ぶりの花見だと、桜の下でほほえむ写真が届いた。
この手術にはドタキャンも結構ある。主治医や看護師や遠い親戚が「失禁や便秘では死なない」などと言うからだ。
死なないけれど、つらいよね――。この手術が保険で認められれば、幸せなOさんが日本中に増えるに違いないのに。「これは治しましょう」と医師が決めるのではなく、患者さんが「この苦痛をとりたい」と言ったら、みんなが本人の気持ちになって真剣にサポートする社会にすべき。皆様もそう思いません?

日本経済新聞「医師の目」第2回
日本医科大学助教授(医療管理学) 高柳 和江
尊厳守り「生」をサポート

高齢の母と暮らす友人宅を訪ねると、ベッドの上に掃除機がドンと置いてあった。検査入院がきっかけで寝たきりになり、娘の顔もわからなくなった痴呆症状の母を「昼間から寝かせないため」だった。
 母を自宅に連れ帰った彼女の「復活大作戦」は――ピンクの服を着せ、ディオールの口紅をつけ、「お母さんきれい!」と言いまくる。客を招き、人と会わせる。分厚いヒレ肉を焼き、残すと捨てるふり。すると母は「もったいない」と口に押し込む。これで体力をつけ、デパートに劇場に、強引に連れ歩いた。たった一カ月で、プールで泳げるまでになり、痴呆の世界から生還した。この人に尋ねた。「ボケているとき、どんな感じでした?」「なんだか不思議の国のアリスになったみたいだった」
 これを聞いて思った。ずっと「アリス」のままになっても、行き先が癒しの国なら安心できる。では、そこで何より大切なものは? 尊敬され、愛され、「自分は重要人物だ」と本人が実感できることだ。
 でも、現実はどうだ。前回おむつの話を書いたが、「おむつを替えてよろしいですか」と本人に聞く施設など皆無に近い。選択権などなく、「さあ横になって」と下着を脱がせられて、尊厳などありえない。立派な施設でも、時間内に入浴を済ませるため、入居者を裸で並ばせていた。そんな施設が「週二回以上」という自治体が決めた評価基準ではトップランク。
「あなたの不平を重大事項として受け取ってもらえる」。ニュージーランドの病院が掲げる患者の権利だ。高齢者施設にはモチベーションセラピスト(生きる意欲を高める専門家)や、一緒に新聞を読む係もいた。「人間として楽しく生きるためのサポートこそが重要」との理念が、実践レベルでも貫かれていた。
 私たちがやらなくては、と二年前に立ち上げたNPO「21世紀 癒しの国のアリス」が目指すのは、「本人も介護者も、社会も幸せになるアリス介護」。高齢者の尊厳を守るケアを広めるとともに、この視点から施設評価も行う。読者の皆様、どなたもウェルカムだ。
(21世紀 癒しの国のアリス事務局 03-3447-8142)

日本経済新聞「医師の目」第3回
日本医科大学助教授(医療管理学) 高柳 和江
ガハハと笑い、ホッと一息

切れたハンカチを縫っても、糸を抜けば二枚に分かれる。ところが、手術の傷は一週間でふさがり、糸を抜いてもくっついたまま。これが、私たち生物の持つ自然治癒力だ。
でも、誰でも秘めているこのすばらしいパワーを全部使いきっていない人が多い。
去年七月、神戸在住の友人、田村先生からファックスが入った。「悪性リンパ腫になりました。すでに四期。生存率は二五%です」。すぐに「笑いの処方箋」を送った。「免疫を高めましょう。1日五回笑って、1日五回感動する。副作用:腹がよじれる」。ガハハと笑った写真の横に、「もっと笑って!」とマジックインキで書いて同封した。
その写真を病室の壁に貼り、抗がん剤の点滴を受けながら彼は周囲を笑わせた。外来通院になると毎日裏山に登り、「ぼくは治りまーす」と叫んだ。山のこだまが返ってくる。こだま療法だ。これで背筋がピンとのび、元気はつらつする。奥様がびっくりした。「あなた、別人。毎回森に行く前と後は顔が全然違う」
一年後、田村先生からファックスが届いた。「奇跡が起きました。がんが消えました」。こうして心も体も癒えるのならば、自然治癒力を高めるサポートを受けること、そのための「癒しの環境」を得ることは、患者の権利である。
私が十年間勤務した熱砂の国クウェートの病院は、植林した森の中にあった。医者と患者は診察のたびに握手をして、人間的であたたかい関係。これでこそ、「よし、治るぞ!」という気になる。病院は、そこにいるだけでほっとして元気になる、免疫が高まる環境を基本とすべきなのだ。
具体的には何が必要か? 実験で確かめた。笑うと、免疫を高めるNK細胞の活性が高まる。森の中でも、NK細胞が活性化する。――だが、多くの病院には笑いも、ほっとする癒しの環境もない。
十年前に『癒しの環境研究会』を立ち上げ、どうすれば病院が変われるか考えてきた。「心で」納得していない治療をされたり、何かとがまんさせられるなんて、病院とは呼べない。

日本経済新聞「医師の目」第4回
日本医科大学助教授(医療管理学) 高柳 和江
知識得れば生きる力に

晶子さんは、突然病院に呼び出された。「ご主人は末期のすい臓がんです」。背中の痛みで外来を受診したのは、一カ月も前なのに。「すい臓が悪いのでは」ときくと、「病名は俺が決める」と言った同じ医者が、今度は余命三カ月と言う。「訴えるんじゃないでしょうね」とカルテもすんなりとは見せない。
彼女は真っ青な顔で相談に来た。「主人に本当のことを言わなければならないのでしょうか」。夫は立派に定年を迎えたところだ。欺かれたまま人生を終わらせたくない。いっそ、病院を訴えてやろうか……。でも、裁判所に書類が受理されるのに七カ月はかかる。最後の三カ月が裁判準備の忙しさで終わる。
彼女はまず逡巡し、それから怒った。「妻の力で主人を治して見せる」とまで言った。私は病気のことを知って、闘う方法を勉強してほしいと米国の最新治療法の情報を渡した。翌日、彼女は夫にすべて話し、息子はインターネットや図書館で医療情報を探した。そして、信頼できる腫瘍内科医にたどりついた。
その医師は言った。「国際レベルであなたに合った最高の治療をやりましょう。ただし、おまかせは困る。抗がん剤のことも詳しく勉強してください。痛み止めがほしかったら、薬を特定し、ほしい量を言ってください。薬の効果も副作用もわかるのは患者だから」
このとき、落ち込んで白黒だった世界が「カラーになった」。告知されて一年、今、がんは消えないが仕事も続けている。晶子さんはもう、泣いているだけの人ではない。患者も医療を変えうるのだと、医学部のカリキュラムに腫瘍内科学を入れよ、との運動を始めた。ご主人は、患者の権利法を求める署名活動に奔走している。
まさに知ることは力である。患者自らが立ち上がる力をつけることを「エンパワーメント」というが、それには、怒り、渾身で知識を得て生きる気になることが重要なのだ。 
人を幸せにしない医療はムダと皆ではっきり言おう。患者が幸せになるには、どんな医者、どんなシステムがよいか。本気で発言し、社会を変えよう。そう、ぜひ私とご一緒に。