バックナンバーはこちらをご覧下さい。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
会誌『癒しの環境』vol.10 no.1 (2005年04月20日刊行) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
特集 第30回研究会「光と癒し ブルーな気分を吹き飛ばせ!」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〜最新号の巻頭言から〜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
光は希望を与える。ノアが箱舟で40日の大嵐にもまれたあとも、アラビアンナイトのシエラザードの息をのむ話の後にも「そして一条の光がさしてきた」と、曙光は、ものごとの新しい始まりを示している。日本でも、太陽を象徴する天照大神で世界が再開した。 光は、それだけで人を癒す。生まれた子どもは、光が好きだ。顔を窓のほうに向ける。光に光にと顔を向ける。病院でも窓側の子どもは、黄疸になりにくい。夜の長い北欧では、秋から冬にかけて気分が落ち込んで何もやる気がしない人が出る。冬季うつ病という。春になると治る。だから高齢者の施設では、南向きのバルコニーに安楽いすを並べている。うつのブルーな気分はお日様の光で吹き飛ぶのだ。 では、どうして光によって人間の心が燃えるのか。物体が燃えるには、燃えるものと酸素、そして熱が必要だ。キャンドルライトは、熱で蝋が溶けてできた気体と酸素とくっつき燃える。人間だって、心という燃えるものがあり、環境という酸素があって、エネルギーが与えられると燃えることができる。司馬遼太郎さんの『燃えよ、剣』ではないが、古来日本人はよく燃えてきた。バブルがはじけて、熱もなく、人間は小市民的になった。フリーターやニートなど、熱エネルギーだけでなく、環境という酸素もない。病気になった人も、「患者さん」と呼ばれたとたんにエネルギーがなくなり、医療という酸素のない環境におかれ、白い壁に囲まれてベッドに横たわったら、燃えるもの、セルフエフィカシーがなくなってしまう。 北島康介を見よ、オリンピックで優勝してやるという闘志をむき出しにしてエネルギーを出し、燃えるものとしての肉体をトレーニングした。まわりの環境も科学的研究がひきだしたトレーニング法などの燃やしやすい環境であった。人間の心だって燃えるためには、熱、酸素【環境】、燃えるもの【モチベーションの高い生身の人間】の3つが必要なのである。 画家のレンブラントは「 光と影の魔術師 」だ。モノトーンに近い闇の中に光を受けて立つその人物像は、深い精神性をたたえ、思わず引き込まれてしまいそうだ。よく見ると、その光と影は、決して自然のものではない。有名な『夜警』でも、不自然な方向からスポットライトのように差す光で群衆の中の少女が浮かび上がっている。彼が活躍したのは1600年代初頭、日本では江戸時代だ。電気による照明技術など想像すらできない時代に、レンブラントはその作品に現代照明技術に通じる光を当て、その光が醸し出す影までも描きだした。 心は、もっといろいろな光を当てることができる。太陽光で、照明で、芸術で、言葉で。 言葉の中にも光がある。「まあ、素敵」「すごいなー」「やったー!」「チョー気持ちいい」「感動!」など、人間のセルフエフィカシー(自己達成感)を直接高める直接照明とも言える言葉がある。これに対して、間接照明の言葉は聖書に多い。「愛」「まなざし」「満ちてくる」「叩けよ、さらば開かれん」「奇蹟」など。「何もほめることがないって、私(あなた)ってなんと謙虚なんでしょう」など、間接照明の極みだ。こうしてセルフエフィカシーを高め、環境で酸素を増やすことで、言葉という光は人間の心を燃えたたせることができる。 生きることは、燃えることである。生きることは、最期まで、人間として雄雄しく戦うことである。ブルーな気持ちを引きたたせてくれる光が今回のテーマである。現実には、どのような光で、ブルーな気分を吹っ飛ばせるのか。とくとご覧あれ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最新号・主要目次
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バックナンバーはこちらをご覧下さい。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||